社会全体としての適材適所を実現するには

会社で仕事をしていると、残念ながら全然仕事ができない人がいます。

かといってその人は人格が破綻していたり、悪意がある人でもありません。

誤解を恐れずに言うと、その仕事に対しては要領が悪いのであると思います。

会社での作業は、原則利益を追求する必要があるのでゆっくり作業していて良いことはありません。

つまり常に時間との勝負=効率を求められるのです。

しかし世の中にはゆっくりしていてもいいことがあるはずです。

例えば、お寺さんの説教やお茶の作法など。きっちりと優雅に行う作業。

他にはお医者さん、先生とか権威がある程度ある職業の人もゆっくりと言うか落ち着いていて欲しいですよね。

急いで説明されても理解できないかもしれまんし、なんかないがしろにされている様に感じるかもしれません。

そのようなゆっくりでもいい仕事にどれだけの需要があるか分かりませんが、

とにかく現代は常に急かされていて、少しでも不器用な人には生きにくい世界になっています。

石器時代とかは、日々の生活さえできればそんなに忙しくすることもなかったでしょうね・・。

 

時代が変化してAIが進化してくれれば人間はそんなにい忙しくする必要はなくなるのかもしれません。

そんな時代になるまでの辛抱なのかもしれませんが、それまでの過渡期においても

その人に合った職業、つまり要領のいい人は忙しい仕事、要領がそんなに良くないひとはゆっくりでいい仕事に就けるように社会全体として適材適所が成立して欲しいと考えます。

これを実現するためには個人情報を開示して、公平性を保つためにAI?が社会全体のバランスを取るためのスゴイ計算をして適材適所を配置するとしたら、昔あった映画の「完全管理社会」になってしまいそうですね。

 

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