「なんで勉強するの?」
高校に入って以来全く勉強をしなくなった自分に子供が子供らしい質問をぶつけてきた。
「子供だから勉強するの当たり前!」と回答しようかと思ったが、納得しないだろうと思い逡巡していた。「なんでだろうね。みんな勉強するからじゃない?」なんてあほな回答をしたら「ふーん。先生とママに怒られちゃうからね」と自分なりに解釈してくれた。子供なりにうまい具合に自分が納得する方向に落とし込んでくれたかなと感心しながら、もっといい回答があったのではないかと考えた。
この子供の単純な疑問に対して色々な回答があると思う。
まずは「自分の将来のため」である。知識・知恵を身に着けることで大人になった時に有利に生活ができるのである。職も選びやすくなるだろうし、金銭的にも有利だし、トラブルに巻き込まれた時に最適な対応方法で切り抜けられる可能性が高くなる。
もう一つの回答は、「人類を存続させるために社会の役に立つ」ということだと思う。学んだことを社会に役に立つように還元するという事はこれまで得た知恵や知識を仕事に活かして、作業をすることである。
これは自分の時間、労力を切り売りする事でもあり、もちろん対価として少ない金銭を得ることができる。
しかしこれを深堀していくと「中年の危機」の原因に行きついてしまう。
労働の対価として一定の金銭を得られる既存の仕組に安住してしまうと、学ぶ事や向上心が失われて現状を変える力がなくなってしまう。いざ変化を求める場合、動きが鈍くなっていたりチャレンジする勇気が無かったりと身動き出来ない非常に困難な状況になってしまう。そしてその後「中年の危機」と言う大きな落とし穴に見事にはまるのである。
もちろん日常の中で生きがいを見つけたり、趣味に没頭できればいい。しかし人生の半分に差し掛かり、肉体の衰えなど現実に直面する事で徐々に心も身体も中年になっていく。そして自分の中の何かが、目覚めて、大きな壁にぶつかる分岐点になる時期でもある。
そこでふと思う事は、「本当にこのまま人生終わっていくのだろうか?人生大逆転なんかしなくてもいいが、本当にこのままの人生で悔いはないのか?自分のやりたかったことってちゃんとやれて来た? 友達、家族、会社、仕事に自分の人生を奪われていない?」
そんなことを問いかけ、いろいろ考え始め、悩み苦しむいわゆる「中年の危機」に罹患することになる。