大人になってから友人を作ることは人を選別し、生々しく歩み寄るということ

コロナの影響で新しく人と知り合う機会は少なくなってきていますが、自分は初対面の人と普通の「人間関係」を築くことにかなり億劫に感じています。

それはその人とこれから「友人関係」に発展するかどうかを見極めているからかもしれません。

そしてその新たに接触した人が自分にメリットがあるかどうか気が付かないうち観察していることにに気が付きます・・。

相手の資質を図りながら、そもそも自分の価値がそんなに高くないと卑下して卑屈になってしまうこともあります。

そんな状況なので友人関係になることがほとんどありません。

更にはその友人関係を継続することも苦手です。

友人関係を継続するということは相手のことを基本的には好きであることで興味を持ち続けていることでもあると思います。

日常生活で通常接していない場合は時々思い出して、メールをしたり電話をしたりして近況報告をしたり相手の状況情報を得て蓄積することでもあるはずです。

そんなに興味を持ち続けることができるものでしょうか。

そこまで興味はありませんが、時々「彼はどうしているかな?」ということを感じますが、そこで自分からは友人に連絡を取ることはしていません。

もしかしたら連絡を取ってそっけない対応をされるのを恐れているのかもしれません。

ところでこの友人ですが、子供や学生の時は学校・社会生活をする上である程度は必要であったし自然と仲良くなることで友人関係が成り立っていたように思います。

しかし本当に自然と仲良くなったりグループになっていたのでしょうか。

数ある人間の中から何かを感じてその対象に近づいて話しかけ共通の話題を持ち掛けてお互いに好感を持ちあい、なにかシンパシーなるものを感じないと友人関係に進展しないと思うのです。

 

もちろん片方の片思いで強引に友人関係になるパターンもあるとは思ういますが、大抵はお互いの気持ちが近づいて好感度を上げながら共通の話題を積み重ねながら連絡先を交換して友人となっていくのではないでしょうか。

友人関係は恋愛と同じであると思うと、友人関係を大人の男同士で築いていくのが急に恥ずかしくなってきました。

もちろん大人の友人関係は利害関係ありきで、それでもお互いに選択をして仲良くなるということは、やはりどこかで惹かれあうものがあるのでしょう。

そんなことを意識しているのは自分の方だけなのだろうと思っても気恥ずかしさは拭えません。

もう一生友達を作るのはできないのかもしれません。

少し寂しいですがいまの生活で友人は不要であるかもしれません。

友人がいなくても生きてはいけますが、やはり山あり谷あり「中年の危機」ありの人生では、喜怒哀楽の感情を共有できる相手はいた方がいいかもしれません。

人生を救ってくれる本当の友人を持つ

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