よく日本人は「自己肯定感」が低いと言われている。そんな風に思われるのはなんだか悔しいし、どのような統計なのかは不明なのであるが、実際に国際社会において日本人のイメージは自信がなさそうでモジモジしている感じなので、それが「自己肯定感」が低いとつながっているのかもしれない。
もしくは、島国日本人の日本の美徳である「謙虚」は、「自己主張」が良いとされる国際社会では「マイナス」のイメージで見られているのかもしれない。
一方、日本社会でも当然、横暴・横柄にしている自己主張の強いヤンチャな人間はいくらでもいる。そういう人間は見た感じはとても自信がありそうなので、日本人のイメージを覆してくれそうな感じであるが、残念ながらそういう横暴・横柄な人間は国際社会で活躍するチャンスはないようである。(「自己肯定感」が高いというよりかは何も考えていない方が正しいかもしれないが、)
心理学のアドラー先生によると「自己肯定感」が低い原因には「劣等感」があるとのこと。(確かに横暴・横柄にしている連中の心の奥底には強い劣等感があり、その反動で無駄に自己主張が強いと思われる)
この「劣等感」は「謙虚」と裏腹で、実際にはそんなに劣等感を感じていないが、建前として「謙虚」を演じているということが日本の場合、多くの場合あると思う。
しかしこの「演じている」というのが、時にはこの現実になってしまうこともあると思う。
例えば、普段は自信満々に業務をしているが、あまりできすぎると周りから嫉妬されるため、「大したことない、たまたまうまくいった」と謙遜したすることがある。そういう人間が立て続けに業務に失敗した時はどうなるだろうか?
周りから「仕事ができて失敗しないやつ」と思われていたいとするあまり、失敗を周りに伝えることができないかもしれない。失敗を隠蔽するようになり、それでも問題ないと自分を偽り本音を隠して演じることになるかもしれない。
このように失敗を許容しない環境を自分で作ってしまうことで、弱い自分をさらけだす事に非常に抵抗を感じるかもしれない。
そして失敗をうまく挽回するために、いつも以上に踏ん張らなければならない。一人で。
こんなことが続けば、自信満々の人間もどこかで「自分はうまくできない」と劣等感を感じて、自己肯定感が低下してしまうかもしれない。
自己肯定感の低下を招く要因はいくつもあると思うが、日本人の美徳の「謙虚」というのも、時代を考慮した考え方に切り替えていく時期なのかもしれない。