ウインブルドンの強者 なぜフェデラーを応援したくなるのか

7月14日 日曜日深夜、2019年ウインブルドンテニスの男子決勝が行われた。錦織選手がフェデラーに負けてしまったので決勝を必ず見ようとは思っていなかったし、翌日月曜はうれしいことには体育の日の振り替えで休みであったこともありゆっくりしようかと思っていた。しかし、チャンネルを回すとジョコビッチ、フェデラーの第3セットが始まったところだった。

歴代を見渡してもおそらくトップに君臨している2選手のウインブルドンと言う最高の舞台での試合をLIVEで見ずにはいられなくなってしまった。

両選手が万全であれば、壮絶な試合が展開されるだろうし、フルセットまで持ち込む可能性もあるので、第3セットくらいから見るのがちょうどよかったと見始めてしまった。

テニスの詳細については、語るほどうまくないので試合経過については言及しないが、錦織選手に勝ったフェデラーを応援するのは日本人の心情ではないだろうか。加えてフェデラーの加齢ぶりも気になってしまい、WIKIで調べると御年37歳(来月38歳)。スポーツ選手としてはかなりの高齢のフェデラーをどうしても応援したくなる。

少し前にYoutubeで、テニスのスーパープレイなどでフェデラーの尋常でないショットや反射神経を見ていたし、試合中のユーモアある行動や、ボールボーイを盛り立てようとする紳士な態度など試合だけでなく、テニス自体を楽しませてくれるエンターテイナーとして尊敬している。

やはりこの年齢=体力というのが、終始大きく影響したが、中盤で解説の辻野さんが「疲労は両方にあるのでこのことに言及しない」ようなコメントを言ったときには???と大きな違和感を感じた。

厳しい勝負の世界で公平な状態で試合をしているので、そこに年齢やそれまで蓄積された疲労を持ち出すべきではないのは、前提条件として分かっているが、あの解説には違和感と途中で憤慨を感じざるを得なかった。

フェデラーの最後のインタビューでも、やはり37歳という年齢のことに焦点が当たられた。大方の観客・視聴者はフェデラーの加齢ぶり、体力・集中力が年々削がれていることを気にしている。過去には圧倒的強さもあったし、紳士的な側面もよく見られた。このような強者が勝ち続けてくれるのを世論は望んでいるのが試合中にも随所に見られた。フェデラーがポイントを取った時の観客も湧き方が圧倒的に違うのである。

ジョコビッチは完全にヒーラーとなっており、後半の「チャレンジ」などは、顕著であり、ここでそのチャレンジをするか?といったようないやな場面での「チェレンジ」を成功させるなどブーイング気味であった。

しかしさすが紳士の国「イギリス」である。ジョコビッチの優勝が決まってもきっちり称賛の拍手をしていたし、テレビを見る限りは変な観客は見えなかった。

しかし今回は特にフェデラーには勝って欲しかった。観客もそれを望んでいたのだが。年齢を重ねるほどに加齢による優勝が遠ざかってしまいから・・。

本日の教訓

・実力社会においても年配者(フェデラーはまだまだ若いが)を大事にしたほうがいい。

・勝負の世界は強者が「正」であるが、普段の行動によっては強者が必ずしも民衆の支持を得られるかどうかはわからない。

 

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