・場所、風景に感傷的になる中年
昔からなのだが、過去に行った場所や通った風景に再び出会うとすごく懐かしい気持ちになり、味わい深い感傷的な気分になる。
過去の場所がすべてが同じ感傷的な感覚になる訳ではなくて、やはり何か感情的が高ぶっていた時にいた場所がそのような特別な場所、風景になるようだ。
例えば、昔住んでいた場所、通った小学校、街並み、成田空港第一ターミナル!(天井が低く古くうす暗い感じ)、通ったスーパーサミット、ユニーなど。いまでいうレトロな感じが該当するかもしれない。
とにかく、再びその場所を訪れたり、写真やテレビで見たりすると昔を思い出して感傷的な気持ちになるのである。これは悲しい気持ちというわけではなくて懐かしく心の奥をくすぐるような感情になるものなのである。
最近では、Google先生の地図が優秀すぎて、ストリートビューでその場に行ったような写真を見せてくれるため気軽にその「場所」を見ることができるが、やはり直接訪れないと感じる感情は半分以下である。
当然、その「場所」がなくなって違う風景に変わっていることもあり、その場合はやはりかなり悲しい気持ちになるのだが。
・感傷的になる理由
こんなに「場所」に対して感傷的になる理由を思い返していたがおそらくは引っ越しが多かったことが起因していると思い至った。
父も私と同じ会社員で何故か英語ができたことから海外含む転勤が多かった。どこに行くにも家族帯同だったため中学生までで海外2箇所、国内3箇所で過ごした。引っ越しが多く、成人するまで同じ場所に5年以上住んだことがなかったくらいである。
引っ越しするということは自分の本拠地のホームが変わってしまうということである。文字通り、野球やサッカーなどでも試合の際に「ホーム」「アウェイ」と言うくらい地元「ホーム」というのは住んでいる場所以上に感情的なつながりが存在すると考えている。
特に農耕民族の日本人は定住することが前提のためホームは非常に重要な「場所」なのである。
実際、地元民の事を「ジモティ」と言う愛称で言ったりするし、地元の神さまの氏神様は地元の神社にいて地元の氏子が代々守ってきたのである。
それだけ重要にされてきたホームが思春期の頃にコロコロと変わってしまうのだから精神的に落ち着かなかったのだろうか。
引っ越す前には、その場所を離れるということに悲しみを抱き、いずれまた戻ってくることを考えて引っ越しした思い出があるのだ。
一時期欧州にもいたが日本と比べると建物のスクラップアンドビルドの頻度が少ないし、建物に統一性があるし歴史の重さもあり安定感を感じて記憶に深く刻まれている場所もある。
・感傷に浸るものは人によって違う
先日仕事仲間と他に売却してしまった昔勤務していた事務所がどうなっているかという話になった。その仲間は、今その事務所がどうなっているか興味なくどうでもいいと言い放ったのである。
3年くらいは勤務していたはずだし、転勤した後も出張ベースで定期的に訪問していた場所なのに興味がないという。
一方、自分は勤務もしていなかったが、一時は1回/月を1年間くらい出張したレベルだが、他に売却した後も近くに出張した際に車で寄ったくらい気になっていた場所である。
自分としてはその仲間が薄情に感じたので、「行ってみたい」とか「懐かしく感じたりとかしないか?」と聞いた。さすがにその仲間も自分の思いを感じてくれたのか、事務所に思い入れはあまりないけど、当時一緒に働いていた人間に会うと「懐かしい!」って感じるよと弁解していた。
自分は人にあまり興味なく、引きこもり傾向なので仲間の気持ちは全くわからない。
懐かしいとか感傷的になる感情は人によって随分異なるものなのてあると改めて気づかされた。
ところで先ほど書いたGoogle先生のストリートビューであるが、進行方向などにドンドン進んでいけるが、あまりにも早く進めるとクルマ酔いの様な症状になるので気をつけてほしい。