子供は迷惑顧みずに自分の要求をストレートに周りに要求します。
それはただの「ワガママ」な事がほとんどである事から、その内その要求が通る事が少なくなっていきます。
(お金持ちの子供は違うと思いますが)
そのため次第に自分でその「ワガママ」を実現できるように努力する事になります。
この努力を大変だと思わないで夢中になって取り組んで最終的に「ワガママ」を実現できれば大したものです。
一つの成長の階段を上ったと言えると思います。
これを継続して諦めずに「ワガママ」をトコトコ追求できる人間が何かを為す事になるのかもしれません。
かのエジソンも分からない事を周囲に「なんで?なぜ?」と相手が困っていても忙しくても聞いて回る様なワガママ君だったらしいです。
それだけの執念に近い気持ちを維持し続けるのが難しいため、ほとんどの人間は継続することを途中でやめてしまいます。
だいたいの人間は自分の「ワガママ」さえ飽きてしまうからです。
そして違う「ワガママ」を見つけて追求を始めるのです。
中年になると経験上自分の「ワガママ」がほとんど通らない事が分かって来て、自分の「ワガママ」を封じ込めてしまうようになります。(大人ですからね)
モチロン年中「ワガママ」を通しているクレーマーや自己中心的人間はいますが、ほとんどの中年は「ワガママ」は「恥」と感じているのではないでしょうか。
奥ゆかしい日本人の国民性と思われますが「ワガママ」を言わない事がかっこよくて美徳だと考えられてると思います。
そういう風に育てられ、周囲もそう感じているので仕方がないです。
しかし「ワガママ」をいつまでも、死ぬまでも封印しておいていいのでしょうか。
「ワガママ」は大抵お金がかかることもあるので、定年して退職金が入ったら叶えようと思っている事が多いかも知れません。
定年までの数十年近くも残っている場合、思いを封印しているうちに人はだんだんと「枯れて」しまうのはないでしょうか。
そして自分の人生で大切な物を忘れてしまい40代になり、突如思い悩む事になり「中年の危機」に罹患するのかもしれません。
一方、グローバルのリア充は世界標準として「自己主張」する事が自分にとって大事な事であると子供の頃より教えられている様です。
奥ゆかしい日本人とは正反対ですね。
端的に言うと自己主張=「ワガママ」で、それが通ったら儲けもん、言ったもん勝ちの世界なのです。
弱肉強食で、強いものが正義なのです。
そんな世界に生きていくのは農耕民族のザ・日本人の自分にはとてもともて疲れてしまいそうですね。
グローバルで活躍している人には無理をせずにうまい具合に自己主張、わがままを通せるよう頑張って頂きたいと思います。