中年 とにかく人との付き合いが面倒に感じる 飲み会時

会社員、特にひと昔前のサラリーマンと言われるおじさん達のイメージは植木等の歌ではないが、気楽な稼業で高度成長期に後押しされて毎日楽しそうにして夕方には飲みに行くというものであった。

一億総サラリーマンと言われていた事もあり、おじさんはすべからく夕方には飲み屋にいる事になっていた。

全てとは言わなくとも果たしてほとんどサラリーマンは飲み屋に直行していたのだろうか?

時代が変わったと言ってしまってはおしまいだが、今の新入社員のように飲み会が憂鬱だったと言う人間はいたはずである。

しかしパワハラなんて言葉が出て来る遥か昔なので、新入社員なら無理矢理にでも飲みに連れて行かれたのだろう。

最初は強引に連れて行かれたとしても、それが常態化してしまえば日常になってしまうものである。

人間慣れてしまえばある程度の事はルーティン化してしまう。

しかしそれでも中には慣れることが出来ずに、毎回飲み会に苦痛を感じている人間が少なからずいたはずである。

そういう人達はどうしていたのだろうか。お酒が飲めればなんとか酔って誤魔化す事も出来ただろうが、それとしても楽しくない飲み会ほど苦痛なものはない。自分以外は楽しそうにしているのだから。

現実逃避したい

嫌なものは嫌なのである。断る勇気があれば苦労はない。断れないし変に気を使ったりするので余計に悪酔いする。次の日の目覚めもひどいものである。

そんな状態が続いたらそれこそお酒が嫌いになるし、飲み会が嫌いになるし、しまいには人間が嫌いになってしまう。

かく言う自分もまさにその通りで飲み会がすっかり嫌いになってしまった。そもそもお酒がおいしいと感じたのもそんなにないし、酩酊感もそんなに好きではない。人と話すのも楽しくない。人の話を聞くのも楽しくないし、そもそも人に興味がない。その人に起きた出来事などはっきりいってどうでもいいことなのである。

そして人のどうでもいい話に適当な相槌を打って「なるほど。そういうことですか!」と言っている自分に嫌気が差してくるのである。

お酒が好きな人は以下の分類に分かれる。(もっとあると思うが)

①純粋にお酒が好き = お酒の味が好き。酩酊感が好き。アル中。

②飲み会の雰囲気が好き = 1人酒では楽しめない、寂しがり屋。

③酔って人間関係が深くなる = お酒の力を借りないと仲良くなれない。本当に仲がよいとは言えない。

①以外は何人かで飲むことになるので、お酒を飲むということは、やはり「飲みにケーション」の色合いが強い。飲んで仲良くなって仲間になっていくのかもしれない。かなり弱いつながりではあると思うが、これも人間関係の一つの形ではある。

つまり飲み会が嫌いな人は、コミュニケーションが苦手か嫌いな人間ということになるのではないか。そうであれば人との付き合いが面倒に感じる人間は飲み会に適していないということになる。

飲み会だけでなく、仕事も人とのつながりで成り立っている部分が大きいので、人との付き合いを面倒に感じる人間は極端なことをいうと社会不適合者でもあるかもしれない。

面倒に感じることを治そうと思っても簡単には治らないので、人との付き合いを面倒に感じる人間は社会との付き合い方も考えていかなければならないと思う。

これからの未来はもこのようなちょっとした社会不適合者に対しても心地よく生活のできる場を準備していく必要があるのではないだろうか。

 

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