会社という得体の知れない人間の集まりが働きやすい職場作りを阻害している

会社に入る前は毎朝定年までの37数年間通勤する事に恐怖と絶望感を感じて、出来るだけ早く会社員から卒業する事を考えていた。

しかし入社してからは流されるまま会社員を続けて来ている。もちろん紆余曲折もあり何度も辞めてしまいたいと思い詰めたこともある。

会社が「ブラック」ではなく比較的「ホワイト」であることが辞めなかった理由であると思うが、この「ホワイト」か「ブラック」であるかの違いを明確にすることは少し難しいと思っている。

高校、大学と体育会系の部活に所属していて、先輩の言うことは絶対という環境で鍛えられた人間にとっては逆に「ブラック」企業の方が心地がいいかもしれないからである。

小生が20年以上までに入社する時も今と大きく変化はないと思うが、大学の体育会系の部活の出身者は縦のつながりを活用して比較的早めに就職が決まっていた。

ハードな業務を強いられる業界は、ハードな訓練をしてきた体育会系の部活出身者を採用して持続可能な企業を構築していくのである。

人間の成長は育ってきた環境に大きく依存しているため、この環境依存型の採用方法は一定レベルでは有効である。

しかし普通の環境で育ってきたノーマルな人間が大多数を占めている訳で、このような人間の就職希望先も採用先も千差万別、無数の選択肢と結果があることになる。

とにかく大学を卒業して就職しなければ社会人として認められない、といった風潮が強い中なんとかしてどこかに就職することになるのだが、ポリシーなく採用された人間が組織に組み込まれて、年を取って組織の一員、中枢となっていくと一体どうのようになるのだろうか。

ある者は会社に身を捧げて邁進するかもしれないし、ある者はナアナアと過ごして会社のお荷物になるかもしれない。自分の立場を利用して不正をするものも出てくるかもしれないし、勘違いしてパワハラやセクハラで道を外す者もいるかもしれない。

このように雑多な人間が所属している会社という組織であるが、組織には派閥があったり、見えないがはっきり機能している社風などで会社は生き物のように動いている。

もちろん経営層や社長によって組織の方向性は変わるかもしれないが、根本にある組織の風潮はなかなか変化しない。

週に5日同じ職場で働いている者同士価値観は近くなるし、お互いにお互いを忖度するし、声の大きい面倒な上司や人間に対しては無意識に遠慮したり、様々な既存要素・人間関係が複雑に絡み合って組織の世論を形成するため染みついた風潮は簡単には変わらないのである。

会社の不正はこのような会社の社風や風潮から生み出される結果であり、仕組みやコンプラなどという上辺の対策では本当に改善はされない。

会社という組織は、時間をかけて形成されていくもので、変化にも時間がかかるものである。日本のホワイトカラーの生産性が悪いというのは、時間をかけて悪い方向に形成されてしまっているのでこれを直すには相当の時間がかかるだろうし、根本的に農耕民族で村社会の日本企業がアグレッシブに風通しが良くて大多数が働きやすい職場になるイメージはなかなか見えずらくなっている。

 

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