他人と家族を比較した場合、腹の立ち方が違う。
他人だと遠慮もあるし、期待度が低いから、こちらの期待と違ったり、頼んでいた事が間違えていたりしても腹は立つが、怒り心頭というところまではいかない(怒りをストレートにぶつける人もいるが…)。普通の人であれば、自分で怒りのブレーキをかける。
一方、家族だと遠慮のフィルターがほとんど無い分、イライラや怒りが感情を覆ってしまい、ダイレクトに怒りをぶつけてしまうことがある。
内弁慶とも言うのだろうか、家族だからこちらの言い分も理解してくれており、その前提に怒っても、その行為に許してもらえるというのもあるのだろうか。
そもそも怒れると言うことは基本的に相手を自分より下位に位置付けていると言うことでもある。
こちらが怒っても「自分の方が立場が上だから怖くない」、と言うことが前提である。
しかし自分の方が立場が上だからと言う理由だけで怒るのは、すごく恥ずかしいことで、弱いものいじめに近い。
まさか自分がそんな恥ずべき事なんかしないはず、と思っていたが、身内に対して上から怒りをぶつけてしまう。
中年の危機になってから更にそれは加速したかもしれない。自分のストレスを家族に向けてしまっているのである。
最悪なことである。1番大切な家族を自分の都合、自分の弱さから傷つけてしまっているのである。怒りに任せて…。
怒り、ストレスは水の様に高い方から低い方に流れる。不条理な事だが下流とは、会社であれば若い人間か、会社では立場の低い人間。
家庭であれば、ストレスのはけ口、怒りの矛先は子供。
最近本当に多い親から子供への虐待が多い理由は正にこれであると思う。親のストレスがそのまま子供に流れていくのである。
昔からストレスが下流に流れていく構図は変わっていないと思うが、近年になってからはストレスの質が変わってきた様に感じる。
例えば、給与レベルが横ばいであったり、給与以上の仕事のストレスがのしかかっていたり働く人にとっては精神的負担は過去に比べると高くなっていると思われる。
人間同士の繋がりも変わって来たのかも知れない。昔であれば住んでいる近所のおじさん、おばさんが声かけて悩みを聞いてくれていたのかも知れない。
物質的には非常に豊かになってきたが、心の豊かさは逆に乏しくなっている。