「継続は力なり」という言葉、実は全然アテにしていなかった。しかしやはり人間である以上、継続して学ぶことで脳みそと肉体が習熟し、なにかを習得していくのである。ご飯を食べる、文字を読み書きする、コミュニケーションを取るといった生活で必要なことも何度も試行錯誤をして小さい頃に学んだことである。
しかし大人になってから「継続は・・・」とは、「継続して努力をすると成果が上がる」、ということだと認識した上で、いくらそんな泥臭いことをしても、その対価として得られるものが大したことないと思うようになってきてしまった。
そしてどうしても打算的に、費用対効果のように「努力」対「効果」を考えてしまう。学生時代は「テスト」という比較的早い段階で効果としての結果が出てくるので努力のし甲斐もあったが、社会人となってしまうとこの「効果」=「評価」を計ることが難しくなってくる。
社会人や会社員の評価は、日々の努力によって積み上げられる部分と、風評というか周りの利害関係者に作られるイメージによるものが存在している。
このイメージとは、仕事だけでなく、大半が当該人物そのものを現すもので、評価する人間によって正反対になったりする非常に不安定なものである。
聖人君子であっても、「粗がない」のがおかしいと批判する人間はいるし、天邪鬼的にとりあえず批判する人間もいる。こんな感じであるから普通の人の場合は評価が一定しないのは言うまでもない。
この不安定な「イメージ」を上げる方法はコミュニケーションや人間関係の改善となるがこれも日々の積み上げによる継続が力になる。
日々の積み重ねの努力を継続するというのは、日本人の大好きな言葉である。とにかくいまはできていなくても努力をすると大抵のことはクリアできると信じられているからである。細かくできるまでの分析やスケジュール管理をしなくても努力と根性でなんとか乗り切ってきたのである。
しかしこの継続的な努力とはどのようにすればいいのだろうか?
もちろん継続的な訓練が必要なものは多い。特に社会に出たての新人は一人前になるまでは日々の継続の積み重ねによってレベルUPが図れる。
またスペシャルな仕事(伝統芸能、運動競技等)はその高いレベルを維持する必要があるし何かの競技にかかわる職業であれば上位を目指すためにも日々の継続的な訓練が必要である。
継続させるということは自分を変化させて、レベルアップさせることである。それによって他人を動かし、力(お金)となるということでもあるかもしれない。
日々の仕事や勉強を積み上げることはもちろん、自分の血肉に染み込んでいくが、それ以外にも例えばポジティブ思考を続ければ、ポジティブな人間に近づけていけるとも考えている。
そして毎日継続して、周りに感謝の言葉を紡いでいけば、自分もその感謝のオーラに包まれるというか、その恩恵を得られるとも言われている。
逆に悪口や愚痴ばかり吐いていたら、それが板について、そういう醜悪な人間になってしまう。でも人の悪口って楽しいから、時々はいいと思う。コミュニケーションの一環としてもね。
とにかくやはり継続は力なりであるが、あまり効果ばかりに囚われずによいことを継続していきたいものである。しかしこの継続が力になるのは人間だけで、AIであれば一瞬で身についてしまうだろうね。