中年 休みと仕事と勤労日本人の人生の幸せ

楽しみにしていたゴールデンウイークが終わって早くも3週間経とうとしている。

やはり連休は連休前が超絶に楽しみで、連休中はそこそこ、連休後半がげんなり、連休後は憂鬱しかない。

連休前 > 連休中 > 連休後

こんなに休みが楽しみで仕方ないのであれば、もっともっと休みのある状況に移ればいいのではないだろうか。仕事ももっと休みが多くて、楽な仕事もあるはずである。

定年を過ぎて隠居生活の父は、毎日が日曜日となる。しかしそれでは休みの価値が圧倒的に低下してしまう。やはり休日前や休日中の超絶な解放感は苦労していやいやでも勤労した対価として得られるものである。

いやいやながらでも仕事をした方が解放感を最大限に引き上げることができ、更に求められている社会人の定義は働いて社会に貢献して納税することなので、一見に個人と国の利害が一致していることになる。

しかし残念ながら日本国憲法に定められた日本国民の3大義務は、下記の通りで国を維持発展させることしか記載されていない。個人が人生を楽しむことについての言及はない。

「教育の義務 (26条2項)」

「勤労の義務(27条1項)」

「納税の義務(30条)」

確かに、日本人として一つの国に所属して、この国を支えて、持続させていくためには上記の3つが必要不可欠である。これは一方的に国が国民に対して義務を負わせているわけではなく、日本国が他の国に占領されてたりしないように自立自衛して、より便利で安全な生活を守るために必要とされる根源の守り事なのである。

「教育」と「納税」は分かる。しかし「勤労」は職業によって勤労方法が大きく異なるし、そもそも勤労という言葉が、日本人を大きく束縛してしまっているのではないかと思う。

勤勉勤労な日本人というグローバルなイメージも定着している。かなり内向的な国民性であると思うが、親切丁寧、ホスピタリティーも高い、犯罪率はいまだ低いようだし、物理的に町がきれいでクリーン。

こんな国でしかも歴史があって食べ物がおいしければ、外国から観光客が来ないわけがない。

とても自分から戦争を仕掛けて、他国を占領した国民性とは思えない。二面性はあるとは思うが、今の日本人は本当に自分たちの幸せを追求できなくなってしまっている。これは先の戦争の影響、3大義務、グローバルなイメージ、日本人特有の恥の文化も影響しているのではないか。

とにかく日本人はもっとわがままに自分の幸せを追求していくべきであり、働き方改革などをする前に自分の人生に対するマインドをしっかり見つめる必要がある。

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