中年 調子を上げるためにそっと「口角」を上げてみる

2019年ゴールデンウイーク10連休真っただ中である。今年は諸事情によりあまり出かけることができないのでせめて家にいる時間は有意義に過ごすため思ごそうと思い、定時毎にタイマーが鳴る設定にしてみた。これは気が付かないうちに無駄な時間を過ごさないように1時間おき時間を認識するものである。

確か昔のデジタル腕時計とかで、定時になると「ピピッ!」っと控えめに鳴るものがあった。この時計を腕に巻いている奴は周りの迷惑を考えずに逆にこの定時になる時計を誇らしげにしているのが不思議であった。

この定時に鳴くアラームが一体なんのためかと思っていたが、現時点においてはなかなか気が利いた設定であることに気が付いた。

しかし初日に試した以降は、まったく鳴らなくなってしまって、鳴らないことにすら気が付かないでいた。そもそも設定が一度きりの鳴響となっていたため、再設定しなかったので当然翌日以降は鳴響せずに、その設定自体が忘却の彼方へ行ってしまったのである。

そんなこんなでゴールデンウイークは、着々と進んでいてゴールデンウイーク明けの業務に憂鬱さを感じている。仕事とは一体なんなのか、自分にとってどういう位置付けなのか?そんなことを少し考えながら、少なくとも今の仕事については自分にとって何の意味があるか全く見いだせない状態が継続している。

仕事はお金を手に入れる手段であり、世間体もあるので毎日なんとか出勤している状態である。

「日本の会社員は通勤電車から一斉に吐き出されてから階段を死んだ目で一斉に上っている」

若者か外人が日本の会社員を蔑んで表現したことを最近よく思い出しながら、自分も最寄りの駅の階段を同じように下を向きながら死んだ目で移動している。

そういう時は別に誰の目を気にすることもなく、思いっきり憂鬱そうな表情に死んだ目にすることにしているが、時折自分という人間が本当にそういうダークサイドに陥ってしまうかの知れないと思い、口角を上げるようにしている。

電車や移動中に変な風に口角を上げると変な人間だと思われるので、ほどほどにしてしまうが普通に「口角」を上げる事に集中していると顔の筋肉、ほほの筋肉が固まっている事などに気が付いたり、口角を上げることが意外と難しいことがわかったりなど憂鬱な気分を忘れることができる。

もしかすると表情を変えることで気持ちにも変化がでているのかもしれない。

冬か春であれば体調管理のためマスクをしているため、素顔も半分は隠れているという安心感もあるし、マスクの下であれば思いっきり自由に下がった口角を上げることができるので重宝している。

兎に角、調子が悪いときは強制的に口角を上げるだけでもほんの少し元気レベルが上がる。

あまり急にやると不自然なので最初はそっと口角を上げて、慣れてきたら顔全体の表情もにこやかにするといいかもしれない。

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